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『二人の「少女」の物語』大田昌秀の嘘

先日、本屋さんで手に取った本があります。

『二人の「少女」の物語―沖縄戦の子どもたち』
という本で嘘つきで有名な大田昌秀さんの本です。

本の内容はこんな感じです。
『二人の「少女」の物語―沖縄戦の子どもたち』 戦場の運命たどり惨禍描く
2011年6月19日 琉球新報より
『二人の「少女」の物語―沖縄戦の子どもたち』大田昌秀著 新星出版・1260円
 この本は「沖縄戦の子どもたち」の副題が付いているように、沖縄戦とはどのような戦争であったのか、子どもたちはどのような目にあったのかを主眼に、米軍が撮影した多くの写真、なかでも「二人の少女」の写真を通して「地獄の戦場」の様相を描き出している。
 「二人の少女」とは、著者の大田昌秀が編集した写真記録『これが沖縄戦だ』(1977年、琉球新報社刊)に掲載された、おかっぱ頭のうつろな目をした「少女」と、ボロのもんぺをはいてはだしのまま三角形の白旗を掲げている「少女」のことである。この2枚の写真は、戦争に巻き込まれた子どもたちの姿を象徴的に、しかも衝撃的に示していた。
 この写真に写った主たちが著者の前に相次いで名乗り出てきたのは、戦後40年も経てからだった。傷ついた片腕を首からつるし、疲れ果てたように座り込んでいたおかっぱ頭の「少女」は、実は男の子で、その名は大城盛俊(当時13歳)であった。もう1人の「白旗を掲げつつもシャッターを切る音におびえをみせる少女」が、比嘉(旧姓松川)富子(当時7歳)であった。
 著者はこの「二人の少女」の数奇な運命をたどるにあたって、第1章で平和な時代の沖縄を紹介し、第2章で世界大戦と日本のかかわりを明らかにしつつ、第3章で戦場の「少女」の悲劇としてまとめている。
 2人の「少女」はそれぞれに家族と離別し、死線をさまよう。一体、どのような不幸や境遇の下におかれ、戦場を生き延びたのか。少女富子はどうして一人白旗を掲げて投降したのか。また大城盛俊少年はどうしておかっぱ頭になっていたのか、なぜ負傷したのか…、謎解きのようにその生い立ちや戦場の体験を、そして戦後の今日に至るまでを克明に語らせている。
 何よりも表紙、グラビア、本文の中に挿入された100点以上の写真をみると「戦争の惨禍については、いくら書いても書き足りない」と言う著者の思いが伝わってくる。
 (平良宗潤・県歴史教育者協議会委員長)
………………………………………………………………
 おおた・まさひで 1925年久米島生まれ。元県知事。学徒兵として沖縄戦を体験。現在、大田平和総合研究所主宰。「沖縄、基地なき島への道標」など著書多数。


二人の少女というタイトルから

「白旗の少女」と「うつろな目の少女」
を思う浮かべる方が多いと思います。


そうです、この本は「白旗の少女」と「うつろな目の少女」を取り上げた本なのです。
「比嘉富子」さんと「玉那覇春子」さんの事が書かれていると思いますよね。
でも
玉那覇春子さんではなく大城盛俊という男性を取り上げているんです。
なぜ男性?なのかは
狼魔人日記 カテゴリー「オカッパの少年」に詳しくあります。
当ブログでも
「うつろな目の少女」その1
「うつろな目の少女」その2
「うつろな目の少女」その3
に書いてあります。
お時間がございましたら「うつろな目の少女」その3だけでもご覧頂ければ幸いです。

私は「うつろな目の少女」が大城盛俊氏ではないと確信していますが
その証拠は
1985年に製作された短編記録映画「戦場ぬ童」という映画

で玉那覇春子さんがお話しされています。

また、この記録映画にはもう一人の少女「比嘉富子」さんも出てきます。

沖縄県内でしたら市町村の図書館にあるかもしれないので
ご覧になられたい方はお近くの図書館へ問い合わせてみてください。

また、「白旗の少女」に関して書かれた部分ですが
さっと目を通したところ
比嘉富子さん、ご本人がお書きになった

「白旗の少女」
から書き写しただけの内容ではないか?と思ってしまいました。


また、狼魔人日記 白旗の少女書かれていますが
1985年、沖縄の「識者」たちによる『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』の発刊で、「卑劣な日本兵」という神話が一人歩きを始めた。
それを見たご本人の比嘉富子さんが、1987年「白旗の少女は私です」と名乗り出て話題を呼んだ。
そして二年後の1989年、今度は比嘉さん自著による『白旗の少女』(講談社 文・比嘉富子 絵・依光隆)が刊行される。
そしてその本の後書きには、当初名乗り出ることも、自著を出版することも躊躇していた比嘉が、あえて自筆による出版に踏み切った動機を次のように書いている。

<・・・ところで、沖縄戦の記録映画が公開されて以来、あの映画のなかで、白旗をもって投降するわたしのうしろから歩いてくる兵隊さんたちが、わたしを盾にしてついてきたかのようにごかいされてているのは、大変残念なことです。
この兵隊さんたちは、わたしの歩いてきた道とは別の道を歩いてきて、偶然、一本道でわたしと合流した人たちです。 そして、私のほうが先に一本道には入ったため、あたかも白旗をもった私を弾よけにして、あとからついてきたかのように見えるのです。
したがって、わたしと、背後から歩いてくる兵隊さんとは、いっさい関係がなかったのです。 このことは、事実として書き加えておかなければなりません。(204、205頁)>


比嘉富子さん、よくぞ生きておられて、よくぞ真実を告白してくださいました。

不幸にして比嘉さんが生きてはおられず、また生きてはいても何かの都合で名乗り出ることなく沈黙を守っていたら、「少女を盾にした卑劣な日本兵」は歴史として永久に語られたであろう。
ここで登場する日本兵は名も顔も知られぬ無名兵士ゆえ、梅澤、赤松両隊長のように名前を特定されないが、日本軍の代表として「醜悪な日本兵」が定着していたであろう。

中略

では、「白旗の少女」のご本人である比嘉富子さんが、名乗り出て真実を告白したため「白旗の少女」の神話は崩れ去ったのか。
否、相も変わらず「卑劣な日本兵」を断罪する『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』は一行の訂正もされず発売されているし、子どもたちへの「平和教育」では「悪逆非道」のイデオロギーで日本軍を貶め続けている。
これはデタラメな記事を満載しながら、今でも発売し続ける『鉄の暴風』と同じ構図である。


沖縄の「識者」たちによる『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』にかかれている事は間違っていると当事者である比嘉富子さんがいっているもにもかかわらず、作られた物語だけが真実の様に伝えられていきます。

大田昌秀には嘘がたくさんあります。
「平和団体」が発する情報にも嘘や誤解をまねくようなものがたくさんあります。

嘘の暴風に巻き込まれない様に正しい知識、自分で考える事が必要です。

〜〜〜〜お知らせ並びにカンパのお願い。〜〜〜〜

■「パンドラの箱掲載拒否訴訟」
第八回口頭弁論
  日時 :6月19日(火) 午前十一時より
  場所: 那覇地方裁判所
■報告会
  日時: 同日      午前11時半より
  会場 :沖縄県護国神 社社務所内会議室

尚、7月17日(火)の午後には、いよいよ証人尋問が行われます。

上原正稔を支援する三善会にご協力をお願いします。

現在、琉球新報の言論封殺に対し、徒手空拳で戦いを挑んでいるドキュメンタリー作家上原正稔氏の「パンドラの箱掲載拒否訴訟」はこれまで皆様のカンパにより戦いを継続してきましたが、沖縄のマスコミから村八分状況の上原氏は現在闘争資金に不足をきたしています。
担当弁護士の先生も手弁当で支援して下さっていますが、打ち合わせ等をするにも交通費等の出費を無視できません。

沖縄の閉塞した言論空間に戦いを挑んでいる上原さんの訴訟にカンパ協力をお願いしております。

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ゆうちょ銀行からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【口座番号】記号:17010 口座番号:10347971
【名  義】サンゼンカイ.
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ゆうちょ銀行以外の金融機関からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【店  名】七〇八(読み:ナナゼロハチ)
【店  番】708
【口座番号】普通:1034797
【名  義】サンゼンカイ.
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  by hiro0815x | 2012-06-13 20:12 | 沖縄

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