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君が代について

ジュルジュサンドのブログ「君が代は素晴らしい国歌ですね」より、引用です。

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実は、この国歌“君が代”について、私は伊勢雅臣さんのサイトを読むまで、中途半端な知識しかなく、読んだあと、成る程、国歌に相応しいと、改めて思った次第です。
このサイトは纏め方が簡潔かつ要領を得て、削除したり付け加える言葉も少なく、素晴らしいですね。大半引用になりますが、君が代について :


国歌に関して、広島県の高校1年生400人を対象にしたアンケート調査が行われた。
・ 小学校から高校1年まで「君が代」の歌詞を習ったことがありますか?
  ある:13%     ない:87%
・ 「君が代」から何をイメージしますか?
   暗い:25%     戦争・侵略:23%
   わからない:17%  怖い:13%
歌詞を習った事がないから「わからない」、とか、メロディーだけ聞いて「暗い」と感ずるのは、理解できる。しかし、歌詞を習った事もないのに、「戦争・侵略」をイメージしたり、「怖い」と思うのは、どういう事なのだろう。それはたとえば、何も知らない子供達にただ「鬼畜米英」と刷り込み教育をするのとあまり変わらないのではないか?

君が代に賛成するにしろ、反対するにしろ、基本的な事実は踏まえておきたい。
まず”さざれ石”とはどんなものか?
君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで「さざれ石の巌となりて」の「さざれ石」は「小さい石」、「巌」、は「岩+穂」の意で「高く突き出た大きな石」と広辞苑にある。穂の形で、そびえ立つ巨岩というイメージであろう。しかし小さな石が、そんな巨岩に成長するなどというのは、非科学的ではないのか?

実はさざれ石とは学名「石灰質角礫岩(かくれきがん)」 と言い、伊吹山のふもとで産出し、岐阜県の天然記念物に指定されている。石灰石が雨水で溶けると、粘着力の強い乳状液となる。 この乳状液が2億年以上にわたって地下に浸透し、小石を互いに凝集させ巨岩に成長させる。この巨岩が河川の浸食作用で地表に露出したのがさざれ石である。

(さざれ石の写真は、以下の水屋神社ホームページ参照。関連・ お奨めサイトにさらに詳しい「国歌『君が代』発祥の地」へのリンクがある。)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mizunoya/index.htm

文徳天皇(在位850―858年)の皇子惟喬親皇に仕えた藤原朝臣石位左衛門は、この地でさざれ石を発見し、「これは珍しい石、目出度い石である」と見たまま、感じたままを、詠んで奉った歌が

  わが君は干代に八千代にさざれ石の
いわをとなリて苔のむすまで
の一首である。都では「見かけぬめずらしい石であリ、かつまた秀歌である」として、この歌は「古今集」(巻七賀の歌)に採録された。石位左衛門は名のある人ではなかったので「詠み人知らず」とされた。

冒頭の高校生へのアンケートでは、「戦争・侵略」、「怖い」 という回答があったが、この点はどうなのか。平安時代に既に歌われていた君が代は、鎌倉時代以降になって、 神事や宴席の最後に歌われる祝歌として一般に広がり、江戸時代に至ると物語、御伽草子などの文芸、浄瑠璃、謡曲などの芸能にも登場するようになった。

このように人々に歌われるうちに、いつしか、より語感の澄んだ「君が代は」と変わり、平安後期から鎌倉初期に広く歌われていた和歌・漢詩を集めた「和漢朗詠集」には、現在の形で登場している。江戸初期には、隆達節(りゅうたつぶし)という小唄がはやるが、その中で君が代は恋の小唄として唄われたようだ。明治2年、薩摩藩の砲兵隊長・大山巌(後の元帥、元老)らが、歌の選定にあたって、平素愛唱していた君が代を選んだ。君が代は薩摩藩では祝賀の歌として用いられ、また薩摩琵琶の「蓬莱山」にも、取り入れられている。

江戸の小唄から薩摩琵琶まで、全国津々浦々で親しまれていたことが分かる。国歌として急速に定着したのも、こうした基盤があったからであろう。いずれにしろ、君が代は、長命を祈る歌、お祝いの歌、さらには、恋の歌として、千年以上も日本人に親しまれ続けてきたのである。いずれも相手に対する「まごころ」を贈るものであり、戦争とか侵略とかとはまったく無縁の、平和そのものの歌であった。

本当に戦闘的な国歌とは、たとえば、次のようなものである。

悪魔のごとく敵は血に飢えたり
立て国民 いざ、ほことれ
進め、進め、あだなす敵を葬うむらん(フランス国歌、一部)

起て 奴隷となるな
血と肉もて築かん
よき国 われらが危機迫りぬ
今こそ戦うときはきぬ(中国国歌、一部)

弾丸降る いくさの庭に
頭上高く ひるがえる
堂々たる 星条旗よ(アメリカ国歌、一部)

 これらの国歌に比較して専門家は君が代を次のように評価する。

作曲家・黛敏郎氏:フランスや中国など、革命から生まれた国は、激しい、荒々しい、戦闘的な歌が多い。それに対し、君が代は平和を賛美し、その平和の中で日本の将来が永久に続くよう、「君」すなわち天皇になぞらえて、祈っている。平和的な戦闘的な歌でないことを、強調し、大切にしたい。

作曲家・團伊玖磨氏:「君が代」は、不思議な曲である。そして国歌として最適な曲である。国歌としての必要条件は短い事、 エスニック(民族的)である事、好戦的でない事。この三条件である。その意味で、イギリス国歌、ドイツ国歌、そして日本の「君が代」。この三つが国歌の中の白眉であると思う。アメリカやフランスの国歌などは長すぎて他人迷惑である。

暗いかどうかは、個人の感覚の問題だから正解はない。しかし君が代の曲について、次のようなことは事実として踏まえておくべきだろう。君が代の最初のメロディーは外国人が作曲したのだが、日本語の調子に合わず、不評だった。そこで、明治9年に宮内庁雅楽課の林守広が作曲したのが、今日の君が代である。林守広の家系は、聖徳太子の頃から、代々、雅楽を伝えてきた。 聖徳太子が604年に秦河勝(はたのかわかつ)に命じて、音楽を専門的に学ぶ楽家を作らせた、そのうちの一つが林家である。 この古代からの雅楽の伝統に則り、さらに西洋音楽の要素も取り入れて君が代は作曲された。歌詞だけでなく、曲までも千年以上の伝統に根ざしているのである。明治26年、ドイツにおける世界国家コンクールで、君が代は一等になった。めったに外国の事を誉めないイギリス人が、君が代を「天上の音楽」と激賞したと伝えられている。

現代の専門家の評価も聞いてみよう。 作曲家・堀内敬三:曲は荘重さもあり、やわらかさもある名曲だと思う。・・・雅楽調といっても、昔の宮廷人も民衆もともに歌った和歌の朗吟風のスタイルをとりいれ、民衆の中にしみこんだ音律が取り入れられている。

作曲家・内藤孝敏氏:一番新しい調査でも63%が「君が代」を支持している。国民の63%が支持する歌なんて、なかなか作れないですよ。しかも、百年以上にわたって歌い継がれてきたということは、「君が代」のメロディーには我々日本人の本質に根ざした何かがあるということなんです。
君が代は古臭い? これも感覚の問題だから正解はないが、「古臭い」という事はどういうことか、考えてみよう?
日教組が新国歌制定を目指して、昭和26年に国民歌を募集し、次の「緑の山河」が選ばれた。

  戦争(たたかい)超えて たちあがる みどりの山河 
雲はれて いまよみがえる 民族の わかい血潮に
たぎるもの 自由の翼 空を往く 世紀の朝に栄えあれ

千年以上の歴史を持つ「君が代」に比べれば、わずか50年足らず前の新しい歌である。しかし今時の若者に言わせたら、「若い血潮」、「世紀の朝」など、どうしようもなく古臭く、「ダサイ」の一言だろう。 時代とともに過ぎ去っていく流行歌と、長い年月を通じて人々に愛され、時代を超える生命力を与えられた古典音楽とは、別ものなのだ。モーツアルトは古い。しかし古臭いとは言えない。君が代も同様に時代を超えた生命力を得た歌である。

現代的な感覚に合わないからと言って、新しい国歌を作っても、 二、三十年もしたら、また次世代の感覚に合わなくなってしまう。国歌は、流行歌のように次々と作り替えるべきものではない。時代を超えて、代々の国民を結ぶものだ。

「緑の山河」は日教組の先生方が、新しい国歌にしようと一生懸命、生徒達に教えたそうであるが、今では知る人もない。それは時代を超える生命力を与えられなかった。日教組が君が代に反対しながらも、代わりの歌を提案できないという苦しい立場にあるのも、こうした失敗があるからだろう。

君が代は天皇制賛美?
君が代の意味は、「天皇を日本国および日本国民統合の象徴とするわが国の末永い繁栄と平和を祈念したもの」という政府統一見解が最近出された。憲法第一条の精神に合致した解釈である。

「天皇制賛美=国民主権の否定」という論法は、王権と民権が激しい対立抗争を続けてきた西洋諸国の歴史を、そのまま我が国に当てはめようとしたものだ。埼玉大学の長谷川三千子教授は、次のように指摘する。

たとへば、水戸学の第一人者である藤田東湖は、日本の歴史をふりかへつて、そこに見出される第一の特色は代々の天皇が民を「おほみたから(大御宝)」として大切にしてこられたといふことであると言ふ。

しかも、この国体思想は、国民に忘れられることはあつても、代々の天皇御自身に忘れられたことは一度もなかった。たとへばそれをもつともよく反映してゐるのが、昭和天皇の終戦の御製四首として伝へられてゐるみうたである。例えばその一首はかうよまれてゐる--「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」。

すなはち、民をおほみたからとして大切にするといふ日本の政治道徳の伝統は、つねに、そのために自らの命を危険にさらすことをもいとはぬ、といふ代々の天皇の御決意によって支へられ、引き継がれてきたのである。
「おおみたから」と「一つ屋根」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog074.html

民を大御宝として大切にする政治道徳の伝統があり、それを常に体現する皇室があった。日本列島に太古の昔から様々な民族や人種が流入しつつも、長い間に平和的に一つの国家としてまとまり、発展してきたのは、この政治道徳が国家の統合力として働いてきたからであろう。

「君が代」とは、このような政治道徳を体現する皇室を中核として、平和的にまとまり、発展してきた我が国の姿を示している。 大きさも種類も異なる様々な小石が結ばれあって、長い時間をかけて見上げるような巨岩に成長した「さざれ石」は、見事にこの国柄を象徴していると言えよう。


〜〜〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜〜〜

私は君が代が日本の国歌としてふさわしいと考えているので、これを読ませていただいてとてもためになりました。

本家のジュルジュサンドさんの文章を読まれる事をお勧めします。




11.2追記


「誇り高き日本人でありたい」の「出て行けば  厭でたまらぬ  日本をば」に諸外国の国歌の歌詞(訳)があります。

「象の背中」を書かれている「yashiki」さんがコメントされていますが、改めて君が代は良い国歌と思います。

  by hiro0815x | 2007-10-25 22:10

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