沖縄のパラダイム

狼魔人日記「アリバイ作りの県議団調査  結論は決まっていた!」で「天動説」とコメントさせていただいてちょっと考えました。

天動説から地動説に世界の考え方が変化していくことってありますよね。

常識から非常識へ、非常識から常識へそんなことを調べていたらけっこうありました。
医学や建築でも変化があるようです。





パラダイム(paradigm)という言葉を提唱したのはThomas S. Kuhnという科学史家である。彼が1962年に提唱した概念はその後少しずつ修正が加えられているが,現在では「パラダイムとはある時代や分野において支配的規範となる【物の見方や捉え方】のこと」という概念で説明されている。
なぜクーンはこのような概念に到達したのだろうか。それは,「科学の進歩は連続的か,断続的か」という捉え方が絡んでいる。そして重要な点は,自明の前提として私たちの思考法にこびりついていつ進化論的な思考から脱却ができるかどうかにある。

 科学の教科書や歴史書を見ると,あたかも科学が段階的に進化・進歩してきたかのように見える。段階的とは要するに,「ギリシャ時代の科学を土台にローマ時代の科学に発展し,イスラムの科学が加わって錬金術が発達し,やがて16世紀のガリレオ,17世紀のニュートンに受け継がれ,ついには20世紀の科学文明として花開いた」というような捉え方である。
 同様の捉え方は,「狩猟社会⇒採取社会⇒農耕文明⇒古代国家の成立⇒封建社会⇒王権社会⇒市民社会⇒国民国家」という社会変遷の様式にも見られる。教科書だけ勉強すると,この見方は絶対に正しいと思うはずだ。だがそれは,単なる思い込みである。

 要するに人間は,「人間は進歩するものだ」という考えを好むのだろう。だからこそ,ダーウィンの進化論は熱狂的に社会に広まったのだろう。

このような「最初は野蛮で,次第に文明化するのが人類の進歩」という考えは根強いものがあるが,これはダーウィン進化論の悪しき拡張であり,根拠はない思い込みである。
 クーンは科学の歴史を先入観なく見直したのだろうと思う。そこで彼は,ある時代の科学を支配する基本的な考え方があってしばらくその枠組みで全てが説明できるが(例:天動説),やがて,もっと包括的な説明ができる全く別の理論体系(例:地動説)が提案され,後者が前者に置き換わる(打ち倒すといってもいいだろう)形で「科学の基本的枠組み」が変化してきたことに気が付いたようだ。
 ここで重要なのは,地動説は天動説を元に発展したことでないという事実だ。地動説は天動説を根本から否定するものであり,両者には共通点は全くない。要するに,地動説は天動説をベースにして発展した学説ではないのである。
 その意味で,天動説から地動説への変化は段階的ではなく断続的である。古いパラダイムの継承ではなく,古いパラダイムの否定と新たなパラダイムの創出だったからである。

 このような「ものの見方や捉え方の枠組み」のことをパラダイムと呼ぶのである。

以上 パラダイムという概念より

パラダイムとなる「物の見方や捉え方」は,実は正しいかどうかは問われない(問われにくい)のが特徴だ。それが科学的に正しいかどうかは問題ではなく,「(なんとなく)多くの人が正しいと感じている」事が必要なのだ。一旦,大多数の人間が正しいと感じてしまえば,それに疑問を持つことは正しくないことになり,場合によっては疑問を持つこと自体がタブーにすらなる。

 それはさておいて,パラダイムの基本となる考え方・捉え方は単なる思いつきのこともあれば,科学的思考の結果に生み出されたものもある。問題なのは,一旦パラダイムとして確立してしまうと両者の区別がつかないことだ。
 天動説も,地動説も,二酸化炭素排出増加による地球温暖化も,男女共同参画による少子化対策も,江戸時代は士農工商の封建社会だったという考えも,パラダイムであるという点では差がないのである。ただなんとなく,正しいと信じられているだけであって,それが本当に正しいかどうかが問われることは滅多にないのである。これらは,何となく皆が正しいと根拠もなく感じているからこそ,時代を支配するパラダイムとなるのである。
 ちなみに,上記の5つのパラダイムのうち,科学的に正しさが証明されているのは1つ,ほぼ正しいのが1つ,そして間違ったパラダイムであることが証明されているのが3つある。

 なぜ,その時代の圧倒的多数の人間がその考えを信じるのだろうか。そこには,教育と産業が絡んでくる。


以上正しいからパラダイムになったのではない,皆が信じたからパラダイムになったのだより

「沖縄集団自決に軍の命令がなかった」と言うと「非県民」として指を差される。
小林よしのり氏が以前から指摘する「同調圧力」である。
「同調圧力」が沖縄のパラダイムを作り上げているのである。
沖縄の新聞二紙をもってすれば県民の思想を方向づける事はそう難しい事ではないだろう。
中国・北朝鮮と同じ事なのだ。
狼魔人日記に詳しく記載されているが「情報閉鎖」があってこそタイムスと新報二紙協調によるパラダイムの方向づけが可能なのである。

しかし今ではインターネットの普及によって沖縄の新聞が報道されない事も手に入りやすくなっている。
パラダイム・シフトの始まりである。
がちがちに頭が固くなってしまった人には受け入れがたい事もあるだろう。
沖縄の新聞が報じない真実が高里氏らの努力によって若い世代にも伝えられるようになってきていると思われる

かつて地動説を唱えたガリレオ・ガリレイを黙らせる為にローマ教会は裁判まで起こした。

立場が逆だが「集団自決」訴訟で大江健三郎氏が「だってホテルの従業員に訊いたらそう言っていたんだモン」(ちょっと脚色してます)と答えたようです。


ただ、それはインターネットの普及によって次第に難しくなってきているのではないだろうか。
パラダイムの説明に関して「新しい創傷治療(消毒とガーゼ撲滅宣言)」というサイトを立ち上げられている夏井睦先生のところから引用してきました。
「キズに消毒液とガーゼをつけない」という治療を提唱されていて次第に普及してきているそうです。医学の分野でもパラダイム・シフトが起こっているようです。


追記

本日の世界日報、M氏に対する鴨野記者の取材、いいですね。
本土対沖縄の構図にしたいのは特亜でしょうね。
私は県民大会反対と実家で発言したら父親と口論に、、、(笑)
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  by hiro0815x | 2007-11-17 18:40

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